kazuyoshi saito 15th

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UTAUTAI 15 SINGLES BEST 1993-2007
「歌うたい15」SINGLES BEST 1993〜2007


1993年8月25日リリースのデビュー曲「僕の見たビートルズはTVの中」他、ファンハウス時代のシングル音源(全18曲)と2000年〜2007年までにビクターでリリースされたシングル音源(16曲)とコラボレーションシングル、インディーズでリリースされた貴重な音源(全4曲)を一挙収録。初回盤には1998年に制作されつつもリリースされなかった幻の音源「RIDE ON THE SUN」、1992年渋谷アピアというライブハウスで行われたデビュー前の初々しい「僕の見たビートルズはTVの中」(弾き語り)、また、1993年9月17日日清パワーステーションにて行われたデビュー初ワンマンの1曲目「tokyo blues」を収録。全音源ニューヨーク・リマスタリング。


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この日本で15年間、ただ、いい「うた」を歌いつづけた人間を、あなたは知っている。

この国に優れたアーチスト、ミュージシャンはたくさんいるし、素敵なバンドはいくつもあり、ポップスもロックもヒップホップでも、あなたは聴き、好きになることができる。友だちや恋人とその話をし、口ずさんだりする。次から次へと。新しい服やお店や、出来事やニュースのように。それは幸福なことだ。この国は、豊かなポップカルチャーをもっている。

斉藤和義は、いつもその集団から、すこし離れたところから聴こえた。私はそう思う。あなたはどうだろう。ポップでないというのでも、流行や話題にならないというのでもない。彼は熱い喚声を浴びてきているし、人気も評価も、尊敬も嫉妬も集めてきたのは間違いない。ただ、斉藤和義という存在は、斉藤和義であることから浮遊することがないだけだ。彼は、メディアが求めるなれなれしさや厚化粧にくらべて、ただちょっとだけシャイで、かなり決定的に真剣であるだけだ。何のために。ただ、斉藤和義であるために。自分の「うた」を歌うために。

その「うた」は「歌」であり「曲」でもある。「詩」ということもできるし「メッセージ」ということもできるだろう。あるいは「パフォーマンス」であり「エンターテインメント」であるということも。そしてまた、ひとりの人間としての「心情」、その「表現」。その「うた」には、様々な概念が当てはまる。けれども私は、やっぱり彼の場合は「うた」という他はないんじゃないかと考える。私はときどき思う。はるか昔に、はじめて「うた」を発明した我らが先祖のことを。それは、人間の発明した、いちばん素晴らしいものなんじゃないかと思う。

ほんのすこしだけ斉藤和義を知っているある女性は「あの、弾き語りのひとね」と言う。そこでファンは嘆いたり、溜め息をこぼしたりしないでほしい。彼女は、それなりにいいところを突いた直感を述べているから。むしろファンは誇るべきことだろう。私は、斉藤本人が「弾き語りで伝わるものが、ほんとうの<うた>だと思う」と言うのを聞いて、いつのまにか弛緩していた自分の頭をぶん殴られた気がした。それは「戦争は人殺しだ」とか「好きだからセックスしたい」というのと同じくらい、反論の余地のない真実だから。この裸の魂が、そもそもロックなんじゃなかったのか。それは音量や格好じゃない。この、ストレートな真実こそが。

私は、斉藤和義を正確に伝えているだろうか。あなたはどう思うのだろう。私は、私のわるい癖で、きっとことばに頼りすぎている。あなたの斉藤和義は、もっと鮮やかだ。彼女の感じているせっちゃんは、もっと色っぽい。何事でもないかのように奏でるギターのリフだけで、あなたの斉藤和義は比べようのない絶対的な存在だろう。私と和義との関係は、彼女の眼差しの熱さを決してうわまわることができないに違いない。この男の、飄々としたその疾走。

去年の夏。私は、仕事でも個人的にも親しいCM演出家の巨匠、中島信也を誘って東京湾のライブ会場に出かけた。音楽にも滅茶苦茶つよい中島信也が、紅盤の「ジェラス・ガイ」に衝撃を受けたとの告白を聞いて。その衝撃の意味は、信用してもいい。数々のCM名曲を自作した彼の音楽的センスは抜群だ。その彼が、ライブのはねた埋め立て地の風に吹かれて、ぽつり「負けた」とつぶやいた。中島監督は、いまでもそのときのことを「僕がロックをやめた日」と呼んでいる。もうひとり、風とロックの箭内道彦も、私の周囲で斉藤和義に目覚めたひとりだ。「NO MUSIC,NO LIFE」を生み出した彼は「和義さんは、たぶん、いま日本でいちばんギターがうまいんじゃないか」と言っていた。私もそう思う。ギターが「うた」になる、その感動を知っている。

私の本業は、中島信也や箭内道彦と同じ広告業界なので、こんなエピソードを紹介した。おそらく、同じようなマグマが、金融業界とか自動車業界とか、その他の世界でも動き出しているだろう。私はただ広告業界を代表して、斉藤和義にアプローチし、ある作品をコラボレーションさせてもらった。それは、斉藤和義がはじめて他人のことばを歌った「うた」となった。この夏には3つめの歌も生まれる。ファンに深くお詫びして私は言う。私は出過ぎたことをしたと、この頃は真剣に考えている。私は、誰よりも斉藤和義の「詩」をリスペクトしてきたのだから。その「うた」に憧れてきたのだから。言い訳をさせてもらうなら、私はCMという矛盾を使ってでも、斉藤和義の「うた」を、より多くのひとに知ってもらいたいと考えたのだ。

斉藤和義と私とは、何の近似点もないのに、似たところがある。北関東の隣の県で育ったということ以外に、何かが。私は先頃、自分の詩集のようなものを世に出し、あらためてそのことをひそかに感じた。それはなぜかということは、ここには書かない。私ひとりの自己満足でいいのだから。それは特別なことではなく、きっとこの、斉藤和義の15年の集大成を聴くあなたにも、同じような奇跡の感覚が湧きおこるだろう。これは「私のことだ」と。それこそが、ほんとうの「うた」だと私は思う。こころが表面でしか触れ合わず、ことばがこんなに薄っぺらい時代に、斉藤和義が「うた」にこだわりつづけてきた意味が、そこにある。

カッコいいとは、格好のことじゃない。あなたも私もその意味を、知っている。

一倉 宏

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